15日はTwitter経由のネット友達さんが来てくれて、昼まで熊野を案内することができました。こんな余裕の日程は久々で、楽しかった。来熊下さった皆様有難うございました。
神事については古文書の記録を含めみ熊野ねっとにUPしましたのでご参照ください。
http://www.mikumano.net/photo/hongu23/index.html

昼過ぎから渡御開始。本殿を出発するのは例年1時ですが、降水確率が高かったので開始時間が急遽早まり結局12:45頃本殿を出発して真名井社を経て旧社地大斎原まで渡御しました。

真名井では先に神職さんが祝詞奏上等の神事を終えていらしたので、渡御は八撥神事のみ斎行しました。

真名井社での八撥の稚児
(画像提供:kmauiupopoさん)
---------------------------------------------------------------------------------
大斎原で神事が始まると御神楽の前に震災で犠牲になった方々への鎮魂と復興の祈願がなされ、私もお祈りさせていただきました。低頭している間、だんだんと体が暖かくなってきて斎庭に陽が差し始めたのがわかり、降り出していた小雨が御神楽の間は止んでいました。例大祭、大人の自分には来年もあるけど、3月から一緒に御神楽の練習をしてきた舞の中学生達は今年だけなのだから、どうかあの子達に雨を降らせないで・・・と思っていたのも聞いてくださったかもしれません。神恩感謝。今年の大和舞・巫女舞は歌も笛も舞もとても合って、良く出来たと思います。練習の時からみんな真面目で意欲的に取り組んでいた成果でしょう。

子供達による御田植神事。女の子は榊を持っています
(画像提供:kmauiupopoさん)。

子供達による御田植神事。男の子は農具を模した道具を持っています。
(画像提供:kmauiupopoさん)。
小さい子たちの御田植はいろいろ惜しかったので、来年までの自分自身の課題です。精進せねば。御神楽が終わって熊野修験道の護摩焚きでは行者さんから箱に入った色とりどりの御幣を勧められ、1本いただきました。有難うございます。黄色の御幣。帯に差して八撥の笛を吹きましたが、期せずして笛列中央に立っていました。五色の幣を立てる時って黄色が真ん中なのだそうで、奇遇です。
餅まきの後は大斎原最後の八撥をして、還御祭で本殿に帰還。傘をさしながら御幸道を歩いて帰りました。
本殿に帰還すると各社殿ごとに最後の八撥神事。13日の湯登神事から何度も繰り返した八撥が、この時に最も長く行われます。現在の御本殿は第一〜四殿までですが、最後の八撥は第一殿、第一殿と二殿の間、二殿、三殿、四殿、最後にまた第二殿の順に、計6回行います。第一・二殿において計4回八撥が行われることになり、これは熊野夫須美神、事解之男命、速玉大神、伊弉諾尊、という元々の御祭神に合わせての事なのだと、本宮大社の神職さんから伺いました(御教授有難うございました)。
そうして長い御旅をなさった御祭神に還御いただき、例大祭は終了です。御参加の皆様お疲れ様でした。
祭の間肩車で過ごしたお父さんと息子さん、付添のお母さん、祭に参加された方々、きっと新しい絆が出来たことと思います。
7.5追記 画像一部、kmauiupopoさんの本宮大社例大祭記事からいただきました。有難うございます(記事には動画も掲載されています)。
http://blogs.yahoo.co.jp/kamuiupopo/9848349.html
---------------------------------------------------------------------------------
昔の記録を見ていて気になるのは、明治期の熊野本宮大社「社法格式写」(延宝〜天和年間の原本の書写)に“獅子八撥猿楽”という記述があることです。この「獅子」は獅子舞だったのでしょうか。現在獅子は登場しませんが、どういうものだったのでしょう。新潟県佐渡市赤泊の杉野浦という所には紀伊熊野本社から伝わったという獅子舞が伝承されているそうです。こういった地方に伝承されている熊野由来の獅子舞から、わかる事もあるかもしれませんね。
月刊「佐渡国」の記事にリンク
http://www.on.rim.or.jp/~mhiroshi/saredo/matsuri/matsu_06.html
続きを読む