東北の民俗芸能復興を応援する活動のリンク

2011年12月15日

花の御湯

十津川村の折立の橋が復旧し168号線を本宮から五條まで抜けられるようになり、久々に、大和路・奈良市へ。明治以来の災害を乗り越えて、また大和路へ行けるのが嬉しいです。
「春日若宮おん祭り」の始めに斎行される、大宿所祭の「御湯立(みゆたて)の式」を拝見しました。

江戸時代の日光社参詣曼陀羅図(この日光社は護摩壇山西北)で巫女さんが鈴を持って湯立釜のそばにいる姿が描かれていますが、そういう昔ながらの湯立を拝見したく思っていました。
湯立は12月15日午後2時半、午後4時半、午後6時の3回。猿沢池近くの餅飯殿(もちいどの)通り商店街の途中に、大宿所はあります。
「♪尾ーのーあーるー鳥ーとー 尾ーのーなーいー鳥ーとー…♪」
餅飯殿(もちいどの)通りを歩いていたら、おん祭りの懸物(かけもの。捧げ物)にちなむわらべうたが流れていました。尾のない鳥とは、兎のこと。肉食が許されない中で兎だけは鳥として食べても良かったので一羽、二羽、と数えていたそうです。

http://www.kasugataisha.or.jp/onmatsuri/pop/pop_osyuku.html


さて、大宿所へ。御湯立をなさるのは、ベテラン湯立巫女さん。「そねったん」とも言うそうです。初回からたいへん混雑し、1度目はほぼ見えませんでしたが2回目でやっと拝見でき、湯立巫女さんの優しく語りかけるような祝詞奏上に、心穏やかになりました。

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「…南は蔵王権現様の、花の御湯(おんみゆ)なーり!さよーうさ、さよーうさ、さよーうさ…」

と、唱えながら湯立巫女さんが笹の葉で湯釜の御湯を振りまきます。さよーうさ、は神道の作法の「左右左」のことだと思われます。
花の御湯、という言葉で奥三河「花祭り」の湯立を連想しましたが、湯立の枕詞として「花」という言葉が昔からあったのでしょうか。

巫女さんが腰に巻いている縄は「サンバイコ」といい安産祈願のお守りとして、このお祭りの時に授与されるのだそうです。身近なオメデタさんへのお土産に。巫女さんの鈴には昭和33年に奉納された銘がありました。先祖代々、受け継がれている湯立なのだそうです。

5時からも巫女神楽等の神事が斎行され、おん祭りの中心神事は18日まで続きます。
今回は300年ぶりの別願(べちがん。特別な祈願)として、東日本大震災と紀伊半島大水害の復興祈願に舞楽「甘州」「敷手」が奉納されたとのことで、おん祭りで紀伊半島の復興も願われたことに感慨深く思いました。願いが天に、届きますように。
私は15日の行事のみ拝見しましたが、次にうかがう時は舞楽も拝見したいです。

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☆フォト蔵に「御湯立式(みゆたてしき)」スライドショーUPしています。
http://photozou.jp/photo/slideshow/1883126/5739012
posted by そま@み熊野ねっと at 23:17 |

2011年06月02日

昭和の本宮祭

6月2日、和歌山県田辺市本宮町の本宮コミュニティにて"第五回地元のおいさんに昔話を聞かせてもらう会"がありました。今日のテーマは「本宮祭」(ほんぐうまつり、熊野本宮大社例大祭)
お話し下さったのは1935年生まれの地元の先生で、昭和初期の祭の様子を伺ったり、貴重な写真を見せていただく事が出来ました。

本宮祭に出る本宮地区の男の子は主に3歳の時に稚児、小学校低学年で苗持ち(御田植神事)、中学校で大和舞の役を務め(男子4人)、女の子は小学校低学年で早乙女(御田植神事)、中学校で巫女舞の役を務めます(女子4人)。先生は昭和13年に稚児の役を務め、その時に胸に提げた鼓を撥で打ち鳴らしながら回ったのを覚えているそうで、73年前のお祭りの事が訊けるなんて、とても嬉しい事でした。

今日のお話しの中でも中心になっていたのは、昭和の御神輿のこと。旧社地・大斎原の「札の辻」にある木の鳥居を越えて音無川にかかる橋を渡り石垣の手前までくると「しばらくは 花の下なる御輿かな」と書いた句碑があるのですが、なぜこの句に「花の下なる・・・」と書いてあるのかということについて、今の御神輿と昔の御神輿が違うことをお話ししてくださいました。

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昭和の御神輿。下の台の中に人が乗っています

今の御神輿は上に鳳凰がついた形ですが、元々は英語で言うと"portable shrine"と書くように、御社殿の縮小版ともいえる千木・鰹木のついた形をしており、上の写真の様に幕を被せた円形の骨組の台上に乗った二段式だったのだそうです。渡御で担いできた御神輿を大斎原でその円形の台に納めてから神事を行い、その後、本宮地域と地域外の人達で大斎原で御神輿の押し合いをしたのだそうです。
先の句は、その押合いをしている間の光景を「しばらくは 花の下なる・・・」と詠んだのではないか?ということでした。

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御神輿を担ぐ「御大工(おんだいく)」

今の御神輿は青年会の人達を中心にわっしょいわっしょいと担ぎますが、かつての渡御ではわっしょいとは言わずに粛々と行い、御神輿を担いだのは本宮大社おかかえの宮大工さん達「御大工(おんだいく)」で、地元の子供達は「おだいく」と呼んでいたといいます(上の写真をご参照ください)。そして押合いで壊れた部分があっても御大工さん達が修復したそうですから、「俺達が直す」という意気込みを持って御神輿を担いでいたのだと先生はお話しされていました。
写真を見て不思議に思ったのは(この写真は昭和35年のもの)御神輿を担ぐ宮大工さんが山伏のつけるような頭巾をつけていることです。何故頭巾なのかはわかりませんが、これも気になる所です。

旧社地・大斎原で明治22年の大洪水の水害があってから現在の高台に熊野本宮大社の御社殿を移築するのに江戸から大勢の大工さんがいらして工事を行ったそうですから、昔の御神輿のことを伺って、より一層本宮にとって宮大工さんがとても大切な存在だったのが伝わってきました。
またの機会にお話しを伺えますように。
タグ:本宮祭
posted by そま@み熊野ねっと at 23:00 |

2011年04月20日

平成23年本宮大社渡御祭

平成23年の本宮大社例大祭湯登神事の記事から続きです。4月14日は御神楽はありませんが午前9時から船玉大祭と奉納行事、今年は合気道、日本舞踏、ご当地ソングの女王水森かおりさんの歌唱があり、午後5時からは前夜祭が行われました。
15日はTwitter経由のネット友達さんが来てくれて、昼まで熊野を案内することができました。こんな余裕の日程は久々で、楽しかった。来熊下さった皆様有難うございました。
神事については古文書の記録を含めみ熊野ねっとにUPしましたのでご参照ください。
http://www.mikumano.net/photo/hongu23/index.html

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昼過ぎから渡御開始。本殿を出発するのは例年1時ですが、降水確率が高かったので開始時間が急遽早まり結局12:45頃本殿を出発して真名井社を経て旧社地大斎原まで渡御しました。

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真名井では先に神職さんが祝詞奏上等の神事を終えていらしたので、渡御は八撥神事のみ斎行しました。

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真名井社での八撥の稚児
(画像提供:kmauiupopoさん)


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大斎原で神事が始まると御神楽の前に震災で犠牲になった方々への鎮魂と復興の祈願がなされ、私もお祈りさせていただきました。低頭している間、だんだんと体が暖かくなってきて斎庭に陽が差し始めたのがわかり、降り出していた小雨が御神楽の間は止んでいました。例大祭、大人の自分には来年もあるけど、3月から一緒に御神楽の練習をしてきた舞の中学生達は今年だけなのだから、どうかあの子達に雨を降らせないで・・・と思っていたのも聞いてくださったかもしれません。神恩感謝。今年の大和舞・巫女舞は歌も笛も舞もとても合って、良く出来たと思います。練習の時からみんな真面目で意欲的に取り組んでいた成果でしょう。

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子供達による御田植神事。女の子は榊を持っています
(画像提供:kmauiupopoさん)。


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子供達による御田植神事。男の子は農具を模した道具を持っています。
(画像提供:kmauiupopoさん)。


小さい子たちの御田植はいろいろ惜しかったので、来年までの自分自身の課題です。精進せねば。御神楽が終わって熊野修験道の護摩焚きでは行者さんから箱に入った色とりどりの御幣を勧められ、1本いただきました。有難うございます。黄色の御幣。帯に差して八撥の笛を吹きましたが、期せずして笛列中央に立っていました。五色の幣を立てる時って黄色が真ん中なのだそうで、奇遇です。

餅まきの後は大斎原最後の八撥をして、還御祭で本殿に帰還。傘をさしながら御幸道を歩いて帰りました。
本殿に帰還すると各社殿ごとに最後の八撥神事。13日の湯登神事から何度も繰り返した八撥が、この時に最も長く行われます。現在の御本殿は第一〜四殿までですが、最後の八撥は第一殿、第一殿と二殿の間、二殿、三殿、四殿、最後にまた第二殿の順に、計6回行います。第一・二殿において計4回八撥が行われることになり、これは熊野夫須美神、事解之男命、速玉大神、伊弉諾尊、という元々の御祭神に合わせての事なのだと、本宮大社の神職さんから伺いました(御教授有難うございました)。
そうして長い御旅をなさった御祭神に還御いただき、例大祭は終了です。御参加の皆様お疲れ様でした。

祭の間肩車で過ごしたお父さんと息子さん、付添のお母さん、祭に参加された方々、きっと新しい絆が出来たことと思います。

7.5追記 画像一部、kmauiupopoさんの本宮大社例大祭記事からいただきました。有難うございます(記事には動画も掲載されています)。
http://blogs.yahoo.co.jp/kamuiupopo/9848349.html



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昔の記録を見ていて気になるのは、明治期の熊野本宮大社「社法格式写」(延宝〜天和年間の原本の書写)に“獅子八撥猿楽”という記述があることです。この「獅子」は獅子舞だったのでしょうか。現在獅子は登場しませんが、どういうものだったのでしょう。新潟県佐渡市赤泊の杉野浦という所には紀伊熊野本社から伝わったという獅子舞が伝承されているそうです。こういった地方に伝承されている熊野由来の獅子舞から、わかる事もあるかもしれませんね。
月刊「佐渡国」の記事にリンク
http://www.on.rim.or.jp/~mhiroshi/saredo/matsuri/matsu_06.html


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posted by そま@み熊野ねっと at 19:59 |

2011年04月19日

平成23年湯登神事

4月13日〜15日、恒例の本宮大社例大祭(通称:本宮祭)が斎行されました。私は今年も渡御の中なので、写真は夫撮影です。

神事の次第についてはみ熊野ねっとにUPしていますのでこちらご参照ください(フラッシュ使用)。
http://www.mikumano.net/photo/yunobori23/index.html

13日の湯登神事は朝9時30分に本宮大社本殿前で拝礼の後、神職さん、氏子総代会、熊野修験者、稚児さんを肩車した「ウマ」と呼ばれるお父さん、付添のお母さんたち(役職名はないけど、稚児役の子達のお守をするのだから大切です)と大社を出発し、真名井社近くからバスで町内の湯峰地区まで移動しました。出発の時、急遽総代さんのリクエストで15日に奉奏する大和舞の笛を吹きながらの渡御になりました。サプライズ。湯峰に着くと桜の開花が例年より遅かったせいか、今まで見たことのないような一面の桜吹雪が。青空を背景に、感無量の美しい光景でした。祭までの紆余曲折を労うような桜と青空に、神恩感謝。

今年の斎館(当屋)は老舗旅館「あづまや」さん。湯垢離(ゆごり。温泉での禊)をした後、斎食をいただきました。内容は毎年変わりますが、定番の温泉粥に、筍の子木の芽和合、板取り、鮎笹香り総身焼き、薬膳酒等々盛り沢山でした。御馳走様です。この日は斎館の部屋割、潔斎所の案内、献立表等ご用意いただき、館内放送での案内もあり、とても助かりました。

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渡御の一行は午後1時から湯峯王子へ。八撥(やさばき)神事が斎行されました。八撥は稚児が左に3回、右に3回、左に3回、笛と太鼓と総代さんの「さがりやそー!」「あがりやそー!」の掛声で回り、御祭神が稚児に遷られる神事です。その後、大日山へ。稚児さんの額には赤く「大」の字が書かれ神の子であるとされますが、この大の字は神道化する以前の修験道の名残で大日如来を表す、という説もあるそうです。大日越をする大日如来の子、というのはあり得る話かもしれません。

祭の日の稚児さんは神の依代で神聖な存在となり地面につけてはならないのでお父さんが肩車をして渡御・山越えをします。湯峯王子の前では観光協会の方達により温泉粥と温泉コーヒーのサービスがあり、斎食でおなかいっぱいでしたが総代さんに勧められ少しいただきました。今年の湯登は例年より歓待していただいているのを強く感じました。

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大日山は、新人さんと並んで山登り。急勾配なので周りは息切れしていたようですが2人とも熊野古道慣れしているので楽々話しながら登れました。お互い山女やのう。中腹の鼻欠地蔵まで行くと熊野修験の方々が御祈祷、その先の大社境外社・月見岡神社へ渡御して再び八撥神事。祠の前の大日堂では行者さん方が御祈祷。神事終了後下山して午後3時頃、大斎原前の札の辻(ふだのつじ。木の鳥居の所)で旧社地を遥拝し、湯登神事は解散しました。

午後5時30分からは宮渡(みやわたり)神事(開始時間は年により変動)。拝殿で八撥神事の後、旧社地大斎原に渡御し再び八撥神事、真名井社まで渡御してこの日最後の八撥神事の後、大社鳥居前まで帰還し解散。13日の祭は桜吹雪の中で過ごしました。
タグ: 湯登
posted by そま@み熊野ねっと at 15:48 |

2011年01月18日

馬頭観音のお祭(23年)

1月18日、本宮町大瀬地区で恒例の馬頭観音さんのお祭りが行われました。
本宮町も場所によって気温が違い、大瀬は中辺路町に近いため寒く、馬頭観音さんの祀られている吉祥院への山を登る途中の道にはあちこち積雪がありました。
雪を踏みしめながら山道を歩いていると、木の枝の上につもっていた雪がさらさらと降ってきます。

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お寺が近づくと、小学校の子供達の声がわいわい聞こえてきました。
5年生の子供達です。5年生になると「大瀬の太鼓踊り」を学校で習うので、大瀬のお祭にも授業の一環として参列しています。

地区の方と小学生と伝統芸能教室の人達が集まり、午前10時頃、和尚さんと御詠歌を歌う方がいらして法要が始まりました。
御真言、般若心経、舎利禮文、御詠歌、等々。
正座でお経を唱えていると心が落ち着きます。
暗記しているわけでもないのになんとなく合わせやすいように思うのは、高齢化する町で今まで参列した葬儀で歌った御詠歌の分、少しづつ頭に入っているのかもしれません。

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境内には空也上人の姿が刻まれた小さな石碑があり(くまの文庫別巻『熊野中辺路―歴史と風土―』という本に拓影が掲載されています)、空也上人は首から鉦を下げた姿で浮彫にされ、もしかしたら大瀬地区にも念仏踊の影響があって空也上人の姿にならい首から太鼓を下げたのだろうか?と想像しました。

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法要が終わって下山し、公民館で昼食をいただきました。
おにぎりと、お味噌汁。寒かったので身にしみて美味しく感じました。

大瀬の伝承、氏神様の祭の話で「昔は湯立(神楽)のあったこともあり、餅撒きもあった。」という記述が「熊野の民俗ー和歌山県本宮町ー」(近畿民俗学会編集・初芝文庫刊)にあります。熊野本宮大社の湯立てと別の話であれば、昔は大瀬でも湯立てが行われていた可能性がありそうです。
餅まきは今でも公民館前で行われ、後ろにいても結構餅が降って来て、よいおみやげになりました。
タグ:馬頭観音
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2010年07月16日

今年の那智大社例大祭

平成22年7月14日、雨が降ったり止んだりでしたが今年も恒例の熊野那智大社例大祭(通称・那智の火祭り)が斎行されました。

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午前中に奉納される那智の田楽は約600年もの長い歴史を持つ国指定重要無形民俗文化財の舞で、現在世界遺産候補に選定されているのだそうです。熊野の伝統芸能が世界遺産に認定されるとしたら、すごいことですよね。選定されなくても素晴らしい芸能は沢山ありますが・・・。

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田楽は全部で45分、ビンザサラという「じゃっ、じゃっ」という音のする木片でできた蛇腹状の楽器が印象的でした。
祭の様子はおさんぽフォトにUPしいていますのでよろしければどうぞご覧下さい。

http://www.mikumano.net/photo/nachi22/index.html

posted by そま@み熊野ねっと at 23:01 |

2010年04月15日

本宮大社例大祭・最終日

熊野本宮大社例大祭、最終日15日。小雨。祭典は朝8時の本殿祭から始まり、今年はギターの辻幹雄先生と篠笛の松尾慧先生、地元の子供達の合唱と楽人、神職さんの舞により新作神楽「熊野」を奉奏させていただきました(舞の指導・振付:清水きよし先生)。私は箏で、昨晩までの練習の成果か子供達の歌も奏楽も今までで一番良かったように思います。途中で小雨が降ってきたので箏を移動し楽の人達はテントの下へ。とても寒かったけど、雨に降られっぱなしにならずにすんでよかった。
こんなに寒い例大祭は珍しいですが、山の上では雪が降っていたのだとか。昼の練習ではあまりに寒いので斎館でストーブをたいていました。

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午後1時から本殿を出発し氏子総代さんたちによる神歌(かみうた)と大和舞の御神楽と交互に奏でつつ渡御。本殿を出発する時の八撥ではまだ小雨だったのですが、私のとなりにいた総代さんが「見てみい、御霊遷しが終わったら、空がさーっと白くなってくるで・・・」と仰いました。その通り、真名井社に行くまでに雨はあがり、八撥神事も無事斎行されました。私もみんなも同じ空を願っていられるこの時が、とても貴重な時間に思えました。

渡御はその後、熊野本宮大社旧社地・大斎原へ。斎庭神事(献餞や祝詞奏上後、中学生達の舞と総代さんの歌と太鼓と楽人の龍笛による御神楽)が斎行されました。

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護摩法要と餅まきが終わり大斎原から本殿へ帰る還御祭の時、宮司さんが御神馬に乗って帰られるというサプライズが。御神楽は環御の時は今まで何もなかったのですが大和舞と神歌交互にしましょうと提案し、また奏楽しつつ渡御。本殿までの158段の階段をのぼりながらの笛にも挑戦し、去年は心労が多くてやっとのことで帰還したけど、今年は息がきれそうなのを笑いつつ、みんな笑顔で本殿へ帰れて嬉しく思いました。

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本殿前の最後の八撥で例大祭は終了。大社御社殿の檜皮葺は今後葺き替えがはじまるので、御社殿全て檜皮葺の状態でむかえる例大祭は今後暫くないでしょう。
その後の直会では(直会とは本来、御祭神にお供えした神饌のおさがりを頂く事により神霊の力を分けて頂き結びつきを強くする事なのだそうです)去年の分まで飲んでやる!という勢いでした。一緒に頑張ってきた人達と飲めるのは本当に楽しいです。みなさんお疲れ様でした。

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タグ: 渡御祭
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2010年04月13日

本宮大社例大祭・湯登神事

4月13〜15日、恒例の熊野本宮大社例大祭が斎行されました。初日の13日は湯登神事から。この神事は和歌山県の無形文化財です。晴天の中、朝9時30分に本殿出発、私も御神楽の為、湯峰温泉へ。祭関係者は湯垢離(ゆごり・温泉での禊)と潔斎食の後、午後1時に湯峰王子で八撥(やさばき)神事。熊野古道大日越を月見岡神社へ渡御、八撥神事の後、大斎原前の札の辻まで渡御。3時前に終了しました。

祭の主役になる稚児さん(3歳前後の男の子)は、御祭神が移られるいわば"人間御神輿"的神聖な存在なので地面につけてはならないとされ、お父さんに肩車をされての渡御になります。お昼ごはんの後でおなかいっぱいになって眠くて寝ている子も。泣き出す子供をあやすには、お母さんの威力はすごいと毎年思っています。お父さんがなだめてだめでもお母さんならぴたっと泣きやむのは不思議です。

大日山の山越の前に行者さんと法螺貝のお話し。法螺貝は、行者さん同士が山岳修験の行で今から出発するぞとか、宿に着いたぞ等合図をする為に用いるそうな。通信の為の音ですね。大日如来の境地に至る為の法具だとも本に書いてありました。法螺貝の音、間近で聴くと五臓六腑に響いてとても気持ちが良かったです。

法螺貝の話を聞いていると、こいつの言う事は信用せん方がええで、なんせ法螺吹きやから!と、もう1人の行者さん。ほんまもんの法螺吹きやのう〜、などと笑いつつ山越え。
そんな冗談もききつつ今日気づいたのですが、行者さんは道の角を曲がるごとに、踵をきゅっとかえしてきちんと直角に沿って歩いていました。人に見えにくいところでも作法を守っていらっしゃる、その所作がかっこよくて印象的でした。普通の人は道の角を直角になぞることはなかなかないと思うのです。

午後5時からは宮渡神事で本殿〜旧社地大斎原〜真名井社〜本宮大社鳥居前を渡御、各所で八撥神事が斎行されました(鳥居前には6時30分ぐらいに到着)。
去年から総代さんたちと、宮渡でも渡御しながら奏楽しようということになり、今年も歩きながら吹く、といういわゆる「道楽(みちがく)」をしたのですが、これがなかなかむずかしい。歩きながら吹く練習が必要だなあと思いました。
タグ: 熊野
posted by そま@み熊野ねっと at 21:01 |

2009年11月23日

三里神社のお祭

昨日までの雨も止み、本宮町は雲ひとつない快晴。午前10時から三里地区にある三里(みさと)神社のお祭りでした。三里神社は元々の御祭神に加え三里地区のあちこちの神社が明治時代以降合祀されてきた場所です。

本宮大社の神職さんにより祝詞奏上、玉串奉納等、祭典開始から30分ほどで神事は終了。
戦没者をお祀りしている御社の神事の時、祝詞の中に「七十余名の英霊たち・・・」という言葉があり、この山間部からも出兵されて亡くなった方々があったんだな・・・と思いました。神道なので故人の生前の名前の後に「大人命(うしのみこと)」という神名がついていました。
本殿の祭典の最中、玉串奉納が始まると風がそよそよとそよいできて、終わると同時にぴたっと止んでいたのがなんともいえませんでした。

神事の時の参列者は総勢30名ほどだったのですが11時の投餅(とうべい・餅まきのこと)の頃にはわさわさと人が集まり、80名ぐらいはいたように思います。昨年もそんなんでしたけど、みんな、お餅好きやね。
http://mikumanosoma.seesaa.net/article/110094245.html

近くの三里小学校では三里文化祭があり、父兄の方々の出店や地元の人たちの農産物品評会と小学生の絵の展示、演芸会(カラオケ等)が開催されました。
数年前までは三里劇団の演劇があったり人出も多く賑わっていましたが、だんだんと縮小傾向なのでしょうか。昔は旅芸人もやって来て賑わい、うちの近所の人たちも山を越えて観に行ったそうです。

夫は氏子の役がありいろいろお手伝いの後、お赤飯とどらやきをいただきました。御馳走さまです♪

どらやき

三里神社のお祭りについてはこちらをご参照ください

http://www.mikumano.net/hongu-archive/misato.html
タグ:
posted by そま@み熊野ねっと at 15:48 |

2009年10月16日

神馬渡御式・御船祭

昨日は速玉大社例大祭の「神馬渡御式」、本日は「御船祭」を拝見しました。今年の早船競漕の一着は堤防地区の方々だったようです。例大祭終了後の夕刻の町中も、「新宮秋まつり」でにぎわっていました。

神馬渡御21

今年の嬉しいサプライズ。
御神馬のベッカムくんに付き添っていた方が“さわっていいよ”と手招きして下さって、ベッカムくんに触らせていただけました!かわいいなー、と思って凝視していたから呼んでくれたのかな。御神馬に触れられるとは思っていなかったので、感激でした。

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御船祭21

熊野の祭で胸に残る光景として、度々見受けられる、神事へむかう男性と、その帰りを待つ女性・・・
数年前の御船祭でとある地区の船が帰着して、その帰りを待っていた女の子が涙していた光景を思い出します。女の子は一着になった船の漕ぎ手の人をずっと岸で待っていたようで、その光景は胸に迫り、忘れ難いものとなりました。

うちはどうかというと昔は夫が祭の太鼓担ぎに出ていましたが、今は私が御神楽の祭典奉仕ですから逆に、神事にむかう妻とその帰りを待つ夫。ということになりますね。
そんなわけでここ数年の本宮祭の写真は夫撮影なのです。
タグ:
posted by そま@み熊野ねっと at 23:25 |
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