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2009年10月10日

「天顕祭」

「読書記録」更新。今回は私の漫画読書記録掲載。
去年読んだ本ですが、白井弓子著「天顕祭」の感想をUP。
http://naginoha.seesaa.net/article/129821182.html



大きな戦争の後、浄化を必要とする世界が舞台である点はナウシカを思い出しますが、“浄化林伐採事業”の労働環境はこのような問題も思い出しました。

力強い絵と独特の世界観で構築された近未来の祭を巡る物語、話が奥深くて何度も読み返しました。下記出版社サイトで第一章が立ち読みできます。
http://www.sanctuarybooks.jp/tenkensai/




余談ですがスサノオノミコトに関連する本、なぜか御縁があります。小さい頃のお気に入りの本はやまたのおろちの絵本でした(たぶんこれ)。
とびだす絵本になっていて、甕の酒を飲むオロチをひっぱって遊べるようになっていたと思います。懐かしいなあ。
タグ:天顕祭
posted by そま@み熊野ねっと at 23:34 |

2009年07月31日

「いのちの初夜」



ふとしたことから、北条民雄の小説「いのちの初夜」を読みました。
ハンセン病(この作品の記述では“癩病”)は現代では治療方法のある病気ですが、この小説が書かれた大正時代はまだ不治の病として恐れられ、患者は隔離されていました。この作品には作者自身がその病を患っていたからこそ描けたであろう病の生々しさ、院内の様子、絶望があり、その中にも、不思議と読後に生命というものの力強さが伝わってくるのです。

どんなに体が病変しようとも、“生命”そのものは、死ぬまで肉体を獲得し続ける・・・僕らは「不死鳥」なのだという佐柄木の様々な言葉は尾田に病への覚悟と生命というものの力を認識させ、自死への意志が、最後には生命への意志へと変化してゆきます。

今までの生命を喪失してゆく中にしか知り得ない命の力というものが、この作品にはみなぎっています。

青空文庫版「いのちの初夜」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000997/files/398.html
posted by そま@み熊野ねっと at 23:51 |

2009年02月17日

聖☆おにいさん



「聖☆おにいさん」(中村光著・講談社刊)の1巻を購入しました。
この漫画の主人公は無事世紀末を乗り越え東京でバカンスを楽しんでいるという「ブッダ」と「イエス」。
“目覚めた人ブッダ”と“神の子イエス”が日本のアパートで同居しているというシュールな設定のお話しです。ある意味神仏習合といえましょう。
「パンチとロン毛」というコンビ名で漫才もします。

衝動買いをしてしまうイエスと家計に敏感なブッダの性格の違いなども面白く、日頃からボケとツッコミ、またはボケとボケになっているのが笑えます。
作中の笑いも、自作Tシャツの文字の意味など聖書や仏典に親しんできた人なら元ネタがわかって2重に楽しめると思います。私は1話の鳥のシーンから大笑いでした(涅槃絵・・・!!)。

普段はジーンズと自作Tシャツで質素に過ごしている彼らですが、徳の高い事を言うと夜でも後光がさして目立ってしまうブッダ、パワーアップすると奇跡を起こしてしまうイエス、やはり人とは違う神仏的な部分も時として表れてしまいます。
印象的だったのは満員電車の場面。俗人なら嫌気がさす場所なのにブッダは楽園を見出していて、この場面に後光はささなかったけどさすが仏様ですね。

イエスとブッダが同居、という強烈な組み合わせなのにどこかほのぼのとした作風で、笑いたい人におすすめの漫画です。

聖☆おにいさん 1 (1) (モーニングKC)
posted by そま@み熊野ねっと at 22:43 |

2009年02月11日

ヘタリアのトルコさん

アニメ化され話題の国擬人化漫画「ヘタリア」の2巻を購入。実は1巻の頃から好きだったのですが。

「ヘタリアと愉快な仲間たち」のページにトルコさんがいるのをみつけて、日本と仲良かったりしないかなーと思いつつ読んでいたら、あったあった。
日本がギリシャさんに連れられてギリシャ観光している時に登場しましたね。そのページ下に、トルコ軍艦「エルトゥールル号」についての注釈が(p37)。4行でものすごく簡潔に解説してあります。
ヘタリア、ギリシャさんもトルコさんも争うほど日本が好きなようです。

この漫画のアニメ化は某国ネチズンから抗議があった事でも話題になりましたが(それ、結局某国も読んでいるってことだよね?)、ヘタレキャラにされたイタリアが怒るならまだしもねえ。
某国はそうでも、イタリアも他の国もかわいいので怒る気にならないと思う。

それにしてもなぜトルコさんは江戸っ子口調で仮面なのか。
作者さんはちょっとでもエルトゥールル号の事を調べたのなら、トルコさんを串本弁にするといいと思います。

串本町大島・トルコ記念館の解説ページ(Wikipedia)
「Axis powers ヘタリア」解説ページ(Wikipedia)




タグ:ヘタリア
posted by そま@み熊野ねっと at 17:12 |

2009年01月23日

大地母神イザナミ

「日本反文化の伝統」(昭和48年刊)という古書を友人に貰っていて、久々に読み返してみました。この本は明治維新前年の“エージャナイカ”や蒙古襲来前年に始まった一遍上人の“踊り念仏”等、社会変革と集団舞踏狂(ダンス・クレイズ)についてのユニークな考察です。

神話や祭祀についての記述も多く、第2部の“生死合一の原体験と祭儀”という項目でイザナミノミコトについて「花を散らして実を結ばせる生死一如の姿を表現する大地母神」という表現があり(p36)、イザナミノミコトにふさわしい表現ではないかと思いました。

もうすぐ2月2日。花の窟神社例大祭「御綱掛神事」ですね。

10月の御綱掛神事の様子はこちら

御綱掛神事

「日本反文化の伝統」(1973年) (上林澄雄著・エナジー叢書)
posted by そま@み熊野ねっと at 23:20 |

2008年12月06日

「三熊野詣」

「白見の滝」について調べていたら、てつから三島由紀夫の「殉教」という短編集にある「三熊野詣(みくまのもうで)」を薦められました。以下、感想です。

作中の六十歳になる「藤宮先生」はとある国文学者を皮肉ったような屈折した設定。先生を尊敬するおつきの中年女性「常子」と故郷・熊野に詣でる旅が話の中心になります。

先生は熊野三山にあるものを持ってゆくわけですが、それがどういった企みなのか、女の勘というものか、やきもきしつつも常子には最後にはわかってしまうわけですが、ここで突っ込んだり笑い飛ばすような女なら、はじめから熊野詣でに連れてゆかなかったのでしょう。先生の“嘘”を成就する為のある意味“共犯者”として見込まれたわけで、常子にとって(泣かされはしたものの)、これは幸せな見込まれ方だったのかもしれません。

作中では昭和40年代の熊野詣の風景が興味深く、名古屋から冷房のない“準急ディーゼル車「うしお1号」”に乗り、先生と常子は熊野へ向かいます。白見の滝が那智の裏滝と言われる存在である事も書かれていて、木材を乗せたトラックが行き交う未舗装の国道168号線が出てきたり、本宮大社の一隅の“人気のない茶店”では“熊野の水(ゆやのみず)”という名の冷たい水を売ったりしています。

当時の本宮大社の石段の途中には謡曲・巻絹の案内板があったようで(今は大斎原の木の鳥居の横にあります)、巻絹の中のセリフ「解けや手櫛の乱れ髪」と、作中に登場する黄楊の櫛を常子の心情の中でかけあわせていたりするのも面白い表現です。

常子の視点と、その奥にある作者の視点からの熊野の描写が興味深い一作でした。

み熊野ねっとの「三熊野詣」ブックレビュー
http://www.mikumano.net/review/junkyo.html

posted by そま@み熊野ねっと at 16:48 |

2008年12月03日

神と三熱

私のMacの前に「三熱」について去年書いたメモがありました。
三熱って何だろうかと思ったら、Yahoo!辞書に

1. さん‐ねつ【三熱】
仏語。竜・蛇などが受けるという三つの苦悩。熱風・熱砂に身を焼かれること、悪風が吹きすさんで住居・衣服を奪われること、金翅鳥(こんじちょう)に食われること。三患。


と、書いてありました。記憶を辿ってゆくとおそらく謡曲「巻絹」を読んでいて気になった単語をメモしたのだと思われます。
この謡曲には本宮大社境内末社の音無天神にて冬梅に心惹かれ、和歌を詠んだ為に巻絹を届けるのが遅くなった都の男が登場します。男は遅刻をとがめられ捕えられてしまいますが、神憑りした巫女に

「歌を納受すると、私の心は三熱の苦しみから少し楽になったというのに」

と、かばわれる場面があるのです。この巫女に乗り移った音無天神は三熱に苦しんでいらしたのですね。他の謡曲では「葛城」の葛城の神も三熱に苦しまれ、加持で助けられたようです。

み熊野ねっと・熊野の説話/謡曲「巻絹」
http://www.mikumano.net/setsuwa/makiginu.html

対訳でたのしむ巻絹
タグ:三熱 謡曲 巻絹
posted by そま@み熊野ねっと at 22:08 |

2008年11月26日

地球の緑の丘

大斎原に立ち寄ろうとして大鳥居前の御幸道を歩いたら、上空の雲がまるで鳳凰の羽のように広がって見えていました。ふと、ロバート・A ハインラインのSF短編小説地球の緑の丘に出てくる詩の一節

わが生をうけし地球に いまひとたび立たせたまえ わが目をして、青空に浮く雲に

を、思いだしました。
この詩は盲目の宇宙航路の詩人・ライスリングという小説中の人物が郷里の地球の緑の丘を懐かしみうたったもので、大斎原は丘じゃないけど日本の原郷と言われる熊野の重要地点、小説に出てくる宇宙から見た“故郷・地球”の描写とが自分の記憶の中で合わさって出てきたということにちょっと不思議な、でもなんとなく相通じるものを感じたのでした。

本宮町内なら七越峰のハンググライダーの離陸場なんかは特に、地球の緑の丘を思い出します。

ハインライン著・矢野 徹 訳
地球の緑の丘 (ハヤカワ文庫SF―未来史2)
タグ:大斎原
posted by そま@み熊野ねっと at 19:10 |

2008年10月31日

「平気でうそをつく人たち」

テレビで外食産業のクレーム処理についての報道を見ました。ほとんどいいがかりのような文句を延々と電話で話すクレーマーたち。呆れつつ見ていましたが、クレーマーたちの過剰な被害者意識に対応しなければならないお店の人も大変だと思います。
しかしサービス過剰で客をあまやかしてきたのも外食産業の人たちではないかと思うのですが、過剰なクレームには受け付けられないものは受け付けられないのだと、これからは毅然としていてほしいものです。

最近は身近に詐欺事件があり、詐欺師の心理とはどういうものなのだろうとふと思い「平気でうそをつく人たち」という本を読んでいて、クレーマーの心理と共通するものを感じました。



この本には精神科の医師の臨床体験から、虚偽の世界に生きる人間の心理が分析されています。例えば詐欺師は自分の良心に徹底的にフタをしてしまい、「自分は悪くない」という前提のもとに悪事を働くので、自分に不都合な事が起これば全て他人に責任転嫁するのだと筆者は解説します。

患者の一例としては抑うつ状態の少年が登場します。この少年の両親の場合、自殺した長男が自殺に使ったピストルを少年のクリスマスプレゼントにあげてしまうという信じられない行動をしているのに、自分たちが原因で子供の精神が病んだことを認めようとしません。

「事実に反する『自己像』を逆転させるための治療がつねにそうであるように、その治療は長期にわたるむずかしい治療となる」(本文P86より)

最近は物事を何でも自分を被害者、他人を加害者にして済まそうという人が増えているのでしょうか。そうやってゆがんだ虚偽の世界観のまま生きてゆこうとすると、さらにゆがんだ状況を生み出してしまうことに早く気がついてほしいものです。
posted by そま@み熊野ねっと at 18:30 |
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