東北の民俗芸能復興を応援する活動のリンク

2011年06月24日

とりら 岩手三陸沿岸の民俗芸能応援募金のこと

今月、東北から熊野の我が家に「権現様」がやって来ました。かわいいカスタネットになっています。権現様カスタネット(カスタネット獅子)は元々東北の獅子舞(権現舞)を元にして作られた郷土玩具で、ネットで見て一目ぼれした私に、岩手の方がアレンジしたお手製のものを送ってくださいました。有難うございます。

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木の幹に腰かけるごん様。

獅子舞の郷土玩具があり、宮沢賢治の作品にも鬼剣舞(おにけんばい)や鹿踊(ししおどり)が出てくるように、岩手には長い年月をかけて伝承されてきた素晴らしい民俗芸能やお祭りが沢山あります。3月の東日本大震災で多くの方々が甚大な被害を受け生活基盤からの再建をされている中、被災地の郷土芸能の存続を心配される方も多くいらっしゃると思います。

写真の「権現様」を作られた方は「ふるさと岩手の芸能とくらし研究会」の方で、研究会の方々は現地で聞き取り調査をしながら、三陸沿岸の民俗芸能を応援する募金「とりら募金」を開設されています。私も微力ながら募金させていただきました。募金は岩手三陸沿岸の民俗芸能団体へのお見舞い、楽器・装束の整備費用等にあてられるとのことです。下記、blog「とりら」の募金のページより転載させて頂きます。

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とりら 岩手三陸沿岸の民俗芸能応援募金 要綱 

●趣意 
 岩手の三陸沿岸には、巡行の形態を持つ神楽を始め、虎舞、鹿踊り、念仏剣舞など多様で特色ある民俗芸能が分布しています。数にして260〜280もの団体が、地域社会の絆と信仰を支え、ある部分では 経済的地域循環の一部となる役割を担ってきました。

 3.11東日本大震災により、沿岸の市町村は計り知れない大きなダメージを受けています。生活基盤の立て直しもなかなか進まない今、芸能者の皆さんは「芸能どころではない」という気持ちと「自分にはふる さとを元気にする役割がある」という自尊心の間で揺れています。

 このような状況の中、私たち「ふるさと岩手の芸能とくらし研究会」は、ささやかな取り組みとして、岩手三陸沿岸の芸能をお見舞しなが ら、現況や当事者の気持ちを聞き取り、要望に応じて可能な範囲で楽器・装束などの整備を応援します。
 またそこで得た情報を公開し、民俗芸能を援助する機関や他の募金等へつなげて行くお手伝いをします。
 調査報告として2012年に「別冊とりら 震災関連特集号」を作ります。芸能だけに限定せず、生業、祭り、年中行事などを含めた地域 の暮らしの変化を拾ってまとめたいと考えています。

●募金の使用内容 
<1>個々の団体へお見舞いとして、暫定的に1万円程度をお渡しする。
<2>楽器・装束の購入費用にあてる。
<3>「別冊とりら 東日本大震災 岩手のくらしと芸能(仮題)」を発行し、関係団体等へ無料配布しながら一部販売する。(2012年 発行予定・部数未定)
 ※公演は使用目的としない。

●経過報告と収支報告 
 ・順次ブログとりらで経過報告をする。
 ・6月9月12月3月各末日〆でブログ上で報告する。

●募金の募集期間 
  2012年3月末日。状況に応じて延長する場合がある。

●募金方法 
  <1>手渡し
 <2>郵便振替
 郵便振替用紙に 「岩手三陸沿岸の民俗芸能応援募金」 と明記して下さい。
 希望者には用紙をお送りします。
  口座番号02240-4-69271
  加入者名 ふるさと岩手の芸能とくらし研究会
  ※振り込み手数料のご負担をお願いします。

【問い合わせ&振替用紙請求先】
○ふるさと岩手の芸能とくらし研究会(代表 吉田隆一)
 事務局 TEL&FAX.019-662-4513 (飯坂真紀) 

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引用部分原文のままにしたく、文中の吉田様、飯坂様のお名前は敬称を略させていただきました。募金の締切は2012年3月末日予定です。岩手三陸沿岸の芸能を応援したい!という方はご協力どうぞ宜しくお願いいたします。

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音無川を渡るごん様。

東北には修験者・比丘尼らにより熊野信仰が多く伝えられ、権現舞と呼ばれる獅子舞の中には熊野権現様も多くいらっしゃるということを、熊野の人は忘れてはならないでしょう。
いつかこんな事があったらいいのにな、という夢ではありますが・・・北上みちのく芸能まつりみたいに、熊野でも「権現舞大群舞」があったら良いと思いませんか?熊野三山、もしくは大斎原で、そんな企画があったらいいのになと思っています。
posted by そま@み熊野ねっと at 03:52 | 郷土芸能

2011年06月02日

昭和の本宮祭

6月2日、和歌山県田辺市本宮町の本宮コミュニティにて"第五回地元のおいさんに昔話を聞かせてもらう会"がありました。今日のテーマは「本宮祭」(ほんぐうまつり、熊野本宮大社例大祭)
お話し下さったのは1935年生まれの地元の先生で、昭和初期の祭の様子を伺ったり、貴重な写真を見せていただく事が出来ました。

本宮祭に出る本宮地区の男の子は主に3歳の時に稚児、小学校低学年で苗持ち(御田植神事)、中学校で大和舞の役を務め(男子4人)、女の子は小学校低学年で早乙女(御田植神事)、中学校で巫女舞の役を務めます(女子4人)。先生は昭和13年に稚児の役を務め、その時に胸に提げた鼓を撥で打ち鳴らしながら回ったのを覚えているそうで、73年前のお祭りの事が訊けるなんて、とても嬉しい事でした。

今日のお話しの中でも中心になっていたのは、昭和の御神輿のこと。旧社地・大斎原の「札の辻」にある木の鳥居を越えて音無川にかかる橋を渡り石垣の手前までくると「しばらくは 花の下なる御輿かな」と書いた句碑があるのですが、なぜこの句に「花の下なる・・・」と書いてあるのかということについて、今の御神輿と昔の御神輿が違うことをお話ししてくださいました。

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昭和の御神輿。下の台の中に人が乗っています

今の御神輿は上に鳳凰がついた形ですが、元々は英語で言うと"portable shrine"と書くように、御社殿の縮小版ともいえる千木・鰹木のついた形をしており、上の写真の様に幕を被せた円形の骨組の台上に乗った二段式だったのだそうです。渡御で担いできた御神輿を大斎原でその円形の台に納めてから神事を行い、その後、本宮地域と地域外の人達で大斎原で御神輿の押し合いをしたのだそうです。
先の句は、その押合いをしている間の光景を「しばらくは 花の下なる・・・」と詠んだのではないか?ということでした。

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御神輿を担ぐ「御大工(おんだいく)」

今の御神輿は青年会の人達を中心にわっしょいわっしょいと担ぎますが、かつての渡御ではわっしょいとは言わずに粛々と行い、御神輿を担いだのは本宮大社おかかえの宮大工さん達「御大工(おんだいく)」で、地元の子供達は「おだいく」と呼んでいたといいます(上の写真をご参照ください)。そして押合いで壊れた部分があっても御大工さん達が修復したそうですから、「俺達が直す」という意気込みを持って御神輿を担いでいたのだと先生はお話しされていました。
写真を見て不思議に思ったのは(この写真は昭和35年のもの)御神輿を担ぐ宮大工さんが山伏のつけるような頭巾をつけていることです。何故頭巾なのかはわかりませんが、これも気になる所です。

旧社地・大斎原で明治22年の大洪水の水害があってから現在の高台に熊野本宮大社の御社殿を移築するのに江戸から大勢の大工さんがいらして工事を行ったそうですから、昔の御神輿のことを伺って、より一層本宮にとって宮大工さんがとても大切な存在だったのが伝わってきました。
またの機会にお話しを伺えますように。
タグ:本宮祭
posted by そま@み熊野ねっと at 23:00 |

2011年04月20日

平成23年本宮大社渡御祭

平成23年の本宮大社例大祭湯登神事の記事から続きです。4月14日は御神楽はありませんが午前9時から船玉大祭と奉納行事、今年は合気道、日本舞踏、ご当地ソングの女王水森かおりさんの歌唱があり、午後5時からは前夜祭が行われました。
15日はTwitter経由のネット友達さんが来てくれて、昼まで熊野を案内することができました。こんな余裕の日程は久々で、楽しかった。来熊下さった皆様有難うございました。
神事については古文書の記録を含めみ熊野ねっとにUPしましたのでご参照ください。
http://www.mikumano.net/photo/hongu23/index.html

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昼過ぎから渡御開始。本殿を出発するのは例年1時ですが、降水確率が高かったので開始時間が急遽早まり結局12:45頃本殿を出発して真名井社を経て旧社地大斎原まで渡御しました。

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真名井では先に神職さんが祝詞奏上等の神事を終えていらしたので、渡御は八撥神事のみ斎行しました。

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真名井社での八撥の稚児
(画像提供:kmauiupopoさん)


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大斎原で神事が始まると御神楽の前に震災で犠牲になった方々への鎮魂と復興の祈願がなされ、私もお祈りさせていただきました。低頭している間、だんだんと体が暖かくなってきて斎庭に陽が差し始めたのがわかり、降り出していた小雨が御神楽の間は止んでいました。例大祭、大人の自分には来年もあるけど、3月から一緒に御神楽の練習をしてきた舞の中学生達は今年だけなのだから、どうかあの子達に雨を降らせないで・・・と思っていたのも聞いてくださったかもしれません。神恩感謝。今年の大和舞・巫女舞は歌も笛も舞もとても合って、良く出来たと思います。練習の時からみんな真面目で意欲的に取り組んでいた成果でしょう。

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子供達による御田植神事。女の子は榊を持っています
(画像提供:kmauiupopoさん)。


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子供達による御田植神事。男の子は農具を模した道具を持っています。
(画像提供:kmauiupopoさん)。


小さい子たちの御田植はいろいろ惜しかったので、来年までの自分自身の課題です。精進せねば。御神楽が終わって熊野修験道の護摩焚きでは行者さんから箱に入った色とりどりの御幣を勧められ、1本いただきました。有難うございます。黄色の御幣。帯に差して八撥の笛を吹きましたが、期せずして笛列中央に立っていました。五色の幣を立てる時って黄色が真ん中なのだそうで、奇遇です。

餅まきの後は大斎原最後の八撥をして、還御祭で本殿に帰還。傘をさしながら御幸道を歩いて帰りました。
本殿に帰還すると各社殿ごとに最後の八撥神事。13日の湯登神事から何度も繰り返した八撥が、この時に最も長く行われます。現在の御本殿は第一〜四殿までですが、最後の八撥は第一殿、第一殿と二殿の間、二殿、三殿、四殿、最後にまた第二殿の順に、計6回行います。第一・二殿において計4回八撥が行われることになり、これは熊野夫須美神、事解之男命、速玉大神、伊弉諾尊、という元々の御祭神に合わせての事なのだと、本宮大社の神職さんから伺いました(御教授有難うございました)。
そうして長い御旅をなさった御祭神に還御いただき、例大祭は終了です。御参加の皆様お疲れ様でした。

祭の間肩車で過ごしたお父さんと息子さん、付添のお母さん、祭に参加された方々、きっと新しい絆が出来たことと思います。

7.5追記 画像一部、kmauiupopoさんの本宮大社例大祭記事からいただきました。有難うございます(記事には動画も掲載されています)。
http://blogs.yahoo.co.jp/kamuiupopo/9848349.html



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昔の記録を見ていて気になるのは、明治期の熊野本宮大社「社法格式写」(延宝〜天和年間の原本の書写)に“獅子八撥猿楽”という記述があることです。この「獅子」は獅子舞だったのでしょうか。現在獅子は登場しませんが、どういうものだったのでしょう。新潟県佐渡市赤泊の杉野浦という所には紀伊熊野本社から伝わったという獅子舞が伝承されているそうです。こういった地方に伝承されている熊野由来の獅子舞から、わかる事もあるかもしれませんね。
月刊「佐渡国」の記事にリンク
http://www.on.rim.or.jp/~mhiroshi/saredo/matsuri/matsu_06.html


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posted by そま@み熊野ねっと at 19:59 |

2011年04月19日

平成23年湯登神事

4月13日〜15日、恒例の本宮大社例大祭(通称:本宮祭)が斎行されました。私は今年も渡御の中なので、写真は夫撮影です。

神事の次第についてはみ熊野ねっとにUPしていますのでこちらご参照ください(フラッシュ使用)。
http://www.mikumano.net/photo/yunobori23/index.html

13日の湯登神事は朝9時30分に本宮大社本殿前で拝礼の後、神職さん、氏子総代会、熊野修験者、稚児さんを肩車した「ウマ」と呼ばれるお父さん、付添のお母さんたち(役職名はないけど、稚児役の子達のお守をするのだから大切です)と大社を出発し、真名井社近くからバスで町内の湯峰地区まで移動しました。出発の時、急遽総代さんのリクエストで15日に奉奏する大和舞の笛を吹きながらの渡御になりました。サプライズ。湯峰に着くと桜の開花が例年より遅かったせいか、今まで見たことのないような一面の桜吹雪が。青空を背景に、感無量の美しい光景でした。祭までの紆余曲折を労うような桜と青空に、神恩感謝。

今年の斎館(当屋)は老舗旅館「あづまや」さん。湯垢離(ゆごり。温泉での禊)をした後、斎食をいただきました。内容は毎年変わりますが、定番の温泉粥に、筍の子木の芽和合、板取り、鮎笹香り総身焼き、薬膳酒等々盛り沢山でした。御馳走様です。この日は斎館の部屋割、潔斎所の案内、献立表等ご用意いただき、館内放送での案内もあり、とても助かりました。

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渡御の一行は午後1時から湯峯王子へ。八撥(やさばき)神事が斎行されました。八撥は稚児が左に3回、右に3回、左に3回、笛と太鼓と総代さんの「さがりやそー!」「あがりやそー!」の掛声で回り、御祭神が稚児に遷られる神事です。その後、大日山へ。稚児さんの額には赤く「大」の字が書かれ神の子であるとされますが、この大の字は神道化する以前の修験道の名残で大日如来を表す、という説もあるそうです。大日越をする大日如来の子、というのはあり得る話かもしれません。

祭の日の稚児さんは神の依代で神聖な存在となり地面につけてはならないのでお父さんが肩車をして渡御・山越えをします。湯峯王子の前では観光協会の方達により温泉粥と温泉コーヒーのサービスがあり、斎食でおなかいっぱいでしたが総代さんに勧められ少しいただきました。今年の湯登は例年より歓待していただいているのを強く感じました。

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大日山は、新人さんと並んで山登り。急勾配なので周りは息切れしていたようですが2人とも熊野古道慣れしているので楽々話しながら登れました。お互い山女やのう。中腹の鼻欠地蔵まで行くと熊野修験の方々が御祈祷、その先の大社境外社・月見岡神社へ渡御して再び八撥神事。祠の前の大日堂では行者さん方が御祈祷。神事終了後下山して午後3時頃、大斎原前の札の辻(ふだのつじ。木の鳥居の所)で旧社地を遥拝し、湯登神事は解散しました。

午後5時30分からは宮渡(みやわたり)神事(開始時間は年により変動)。拝殿で八撥神事の後、旧社地大斎原に渡御し再び八撥神事、真名井社まで渡御してこの日最後の八撥神事の後、大社鳥居前まで帰還し解散。13日の祭は桜吹雪の中で過ごしました。
タグ: 湯登
posted by そま@み熊野ねっと at 15:48 |

2011年02月24日

海を守る人達

今日は熊野のことではないのですが、最近気になる話題を。
Twitterやインターネットを中心に高い関心が持たれている、山口県の上関という地域に原発建設計画の話があるのをご存知ですか。
毎日新聞の記事
Twitterの上関タグへのリンク
瀬戸内海にあるその建設予定地から4kmしか離れていないところには祝島(いわいしま)という島があります。スナメリや国際的な危急種であるカンムリウミスズメの生息も確認されている自然豊かな場所で、WWFの支援する祝島自然エネルギープロジェクトが立ち上がりました。

海と暮らしを守るために祝島の方々は約30年も原発建設に反対し続けてきたのに、数日前から突然工事が強行されはじめました。
なぜかテレビで報道されず、電力会社がスポンサーになっているわけでもないNHKですら報道をしないのが不思議なので、もっと報道の人達は関心を持ってほしいものです。

祝島のことは昨年本宮でも上映会があった「ミツバチの羽音と地球の回転」という映画にとりあげられていたことで知りました。

不思議に思うのは現代人は毎日電気を使っているのに、その電力供給源として日本に沢山ある原子力発電所について発言することが何か特殊な組織や思想にくみしていないといけないような感覚がある人が多いのではないでしょうか。私はそういった事と別に、居住地が都会であるとか田舎であるとかも関係なく、賛成・反対に関わらず(この映画は原発反対側の視点です)、一生活者としての思いをそれぞれが述べていいのだと映画を観て思いました。

祝島は漁業や農業が中心の島で、千年の歴史を持つ「神舞(かんまい)」という県指定無形民俗文化財の神事もあります。
http://www.iwaishima.jp/home/kanmai/kanmai.htm

日々民間の方々がインターネットで上関原発建設予定地から中継なさっているので見ています。工事予定地がどういう状況なのか、中継をご覧になってみてはいかがでしょうか。
今日(2/24)は議員さんたちが視察に来るから昨日までとはうってかわって「強行」はないかもしれませんが・・・どうなるかわかりません。対立でなく島の方々の暮らし・漁業が守られる方向での対話が進んでほしいです。

中継URL
http://ustre.am/uiOX
タグ:祝島
posted by そま@み熊野ねっと at 15:10 | 日記
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